どこのトレーナーとだか忘れてしまいましたが、こんな話をしました。
憧れてなったトレーナー
「最近ではトレーナーと言う職業にあこがれ、夢の職として就く人が多い」そうです。
夢をかなえることは決して悪いことではなく、むしろ素晴らしいことだと思います。
私個人としては、夢が叶うほど素晴らしいことはないぐらいに思っています。
しかしこの『夢の職』にはちょっとした落とし穴があるのだとか。
トレーナーになることが最終目標
最初からトレーナーになることを夢(目的)とした人は、
『トレーニング自体が目的となっているため、実践に有効なトレーニングをなかなか理解できない』
のだそうです。
多くの場合、トレーニングと言うのは「競技などのある(部分的・全体的な)目的のため」に補助として行い、より高いレベルを達成するためのものです。
しかし『トレーニング自体が目的』と言うのは、トレーニングまでで計画が終わってしまい、
「トレーニングをすることで、競技のより高いレベル達する」
という目的に到達できない状態です。
競技(アスレティック)トレーナーに必要な知識は、フィジカルトレーニングの知識や方法(要するに筋トレ)だけではなく、競技自体の知識が必要となます。
トレーニングのためのトレーニングで…
話の流れとして、
「では競技をしない人であれば、ただのトレーナーで良いのか」
と言うことになりますが、やはり上手くいきません。
なぜでしょうか。
どのような競技でも、その競技特有の動きと言うものがあります。
「動き」を知っていれば、必要な筋肉量、必要な筋肉バランスや動かし方を含めた情報があり、本来ならば、そこでようやく要なトレーニングと言うものが必然となってくるわけです。
(実際そんなに精密には分かる人は居ないかと思いますが・・・)
『トレーニング自体が目的のレーニング』はどのようにして考えられるのでしょうか。
スポーツパフォーマンスを上げることが目的のはずなのに
まず実際の「競技特有の動き」を知らない・経験が無い為に、まず上記の筋肉のバランスに関する情報がありません。
見すると情報は本や人から教わった知識で埋め合わせられると思うかもしれませんが、それでも感覚的に大きな溝が存在するのです。
その溝は、競技内における「筋肉の連動性」に表れてしまいます。
細かいトレーニングを行う際に、実際の「動き」のイメージが沸かない為に、トレーニングにより競技の特色が体にもイメージされません。
あくまで理想ですが、トレーニングはいかなるものであっても競技をイメージできるものが良いとされています。(レベルが低ければ別ですが。)
こういった競技などの経験がないトレーナーは、実践に有効なトレーニング方法を知らない、実感がない状態です。
そして、『実践に有効なトレーニングをなかなか理解できない』ことになってしまうのだそうです。